どうぶつ村は人と動物が共生するためのルール作りの基盤を作り上げていきたいと考え、福岡市東区を拠点に
地域ボランティア活動やドッグランの整備を進めております。

理事長エッセイ 敗血症からの甦り 第8章「あと少し」

わたし、帰りたいの

このK病院は(うわさ)(たが)わず食事が美味しい病院で、大学病院とは比べものにならないくらい口にする食事の量が、日を増すにつれ増えてきた。
まして、苦手としていた酢の物が、程よい味付けのお陰で無くてはならないメニューの一品となった。
惜しむらくは壁が薄く隣室の会話が丸聞こえすることだった。
2日程たった夜の消灯後、薄暗い廊下から声がする。
耳を澄ますと、若い女性の声で何か喋って廊下を歩いている。
てっきり看護師さんの独り言かと思い、聞き耳を立てていると、
『帰りたいの』
『わたし、帰らなくてはいけないの』
と聞こえてくる。
ソーッと扉に近づき少し開けたドアから顔を出してみると、白髪で小柄(こがら)な老婦人が補助車を押しながらつぶやき歩いていた。
2〜3分もしないうちに『・・・さん、お部屋に帰るよ。』
『分かった、分かった、もうすぐ帰れるよ』
看護師さんが部屋へ連れてった。
後日、リハビリ療法士曰く『うちの病院には半年、1年は短いほうで、9年位の人もいますよ。』
『但し、そんな方は自分がどこにいるかも分かっていないですけどね』

退院戦略作戦

3月に入ると衰えていた筋肉回復のリハビリが始まった。
慎重(しんちょう)に慎重に歩行訓練から始まった。
3ヶ月の入院は恐ろしいほど筋肉を脂肪とともに削いでいた。
3ヶ月で20Kgの減量なんて、普通ではできっこない。
病気の賜物(たまもの)というものの、間違えば命を落としていただけに素直に喜べない複雑な思いがある。
転院直後は退院なんて遠い先のように思えていたが、少しずつ元気になってくると4月頃には退院できるのでは?と思えてきた。
おまけに院長の回診時、最終的に整形部長のOKが出ないと退院できないことが分かってきた。
ところがその整形部長はそこの病院医師ではなく、2週間に一度の割合でしか出てこないと言うではないか。
退院OKが出なければ次の機会は2週間先でしかないということになる。
そこで2週間に一度のタイミングを逃すことの無い様、3月末をめどに自分で戦略を練った。
まず、リハビリ運動は明るく元気よくスピーディーをモットーに。
元体育教師の経験を生かして、回復力を常にアピールし、休日も廊下をウォーキング。
カレンダーには勝手に退院予定日を書き入れて目に付くようにしておく。
作戦は絵に描いたように成功。退院は現実となった。

退院

努力の甲斐(かい)あって、桜咲く3月29日無事退院となった。
退院後、2週間に一度の割で大学病院に検診と薬を(いただ)きに出向いたが、6月からは1ヶ月毎で良くなった。
そんな折、ふと見ていたTVで2012.10.24、「FBS放送」21:00からの「世界仰天ニュース」“謎の病SP”にて、つま 楊枝(ようじ)を踏んでその傷から黄色ブドウ球菌が血液中に侵入、敗血症を起こし脳内出血、心臓内の弁を菌により懐失しながらも医師団の懸命な治療により一命をとりとめたという外国の事例が紹介された。
改めてこの病の恐ろしさを認識するとともに、死の淵より救い、(よみがえ)らせて頂いた大学病院の関係者と主治医の先生方。
そして転院後の先生、看護師を含め私の治療に携わっていただいた多くの医療関係者。お見舞い励まし頂いた皆様にも感謝申し上げ、貴重な体験とともに、二度と繰り返したくはない闘病生活の記録をこれにて校了させていただきます。
今でもハリーポッターの映画を見ていると画面からディメンターが出てきそうで、気持ちのいいものではありません。(出て来たら皆様のところへも、ご挨拶に行くよう伝えておきます。)
皆様どうか日々の健康に留意されますよう。
病院の先生には内緒ですが、少し飲めるようになって来ましたので、この他にも面白い話がありますので酒の席にて続きを。

 
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