どうぶつ村は人と動物が共生するためのルール作りの基盤を作り上げていきたいと考え、福岡市東区を拠点に
地域ボランティア活動やドッグランの整備を進めております。

どうぶつ村コラムVOL.22 最期を見送るとき その1
   

  考えたくはないことですが、生活を共にするペットたちにもいずれ最期のときが訪れます。犬や猫は我われ人間の約5倍のスピードで今を生きています。つまり1日で人間の約5日分、年をとります。彼らの多くはわずか十数年の寿命ですから、ほとんどの場合飼い主やその家族が最期を見送ることになるでしょう。このとき、前もって心積りをしておくと、そのときに心置きなく悲しむことに専念できるので心残りが少なくてすみます。

  このように「死」を迎える心の準備しておくことで、ペットとの生活がなくなることなど考えられないという方がかかってしまいやすい「ペット・ロス」からのスムーズな立ち直りができます。ペット・ロスとは、1970年代半ばに米国で生まれた言葉で、ペットを失った飼い主の深い悲しみを表現するものです。ときには日常生活に支障をきたすような状況に陥り、仕事が手につかなくなったり心身に障害がでたりすることもあります。ただしペット・ロスは愛する動物を失ったことに対する正常な反応であり、決して特別なことでも異常なことでもありません。動物に限らず大事なものを失えば落ち込むのはごく当たり前の自然な姿ですから。

  ただ人によっては、その心の衝撃の度合いが違い、なかには少しだけ周囲の助けが必要になる人もいるでしょう。感情を表に出さない奥ゆかしさや気丈な“大和魂”が美徳とされる日本文化では、失意に暮れる姿をさらすのは相容れないところがあるようです。「たかが動物が死んだくらいで」という人が少なからずいるかもしれませんが、これは配慮・理解に欠ける言葉であり、ペット・ロスからの回復に水を差すというよりはむしろ追い討ちをかけ悪化させてしまう言葉です。 「たかが・・・」は絶対に禁句です。日本にくらべオープンな欧米では、それを乗り越えるためのケアが様々な形で提供されています。もともとカウンセリングを受けることが日常化しているため、精神科やカウンセラーに相談して克服する方法や、各種団体がペット・ロス専用の「生命の電話」を設置していたり、地区の獣医師会と獣医大学とが共同でペット・ロス・サポート・グループを設立し対象者に月2回の会合を開いてケアにあたるという試みもあります。

  ペット・ロスを乗り越えるには周囲の理解も必要ですが、それに至るプロセスが立ち直りの大事なポイントとなります。
(1) 悔いのない生活を送らせてやれたか。
(2) 辛くない「死に目」を迎えさせてやれたか。
(3) 心置きなく見送ることができたか。
これらのことを事前に心積もりしておくことが、私たちにとって、そして動物たちにとっても生きている時間を有意義なものとしてくれることでしょう。

次回につづく
 
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